卒業のエモとその成分について
くりむ、卒業するってよ
気づけば大学も4年間居座ったらしく、ついに追い出されるようです。ちなみに、最後まで「卒業できるか分からない」と言い続けた僕ですが、なんとか取得単位数も足りて、無事卒業と相成りました。ご心配いただいた皆様、ありがとうございました。 卒業するにあたり、様々な方に祝っていただき、また思い出話に花を咲かせるわけですが、やはり卒業するのは寂しいものですね(ご卒業おめでたくない説)。
卒業のエモ
数々のアーティストが卒業ソングを歌うように、卒業という行事は、一年の中でもかなりエモーショナルな行事です。
ぶっちゃけ僕は送り出す側が寂しがるのは意味が分からないですが 送り出す側も、やはり強いと思っていた先輩が脆くも泣き崩れる様を見ると人間の儚さを感じて泣きたくなるわけですが実際に卒業する段になって感じることを、纏めておきたいと思います。もうあと卒業するのなんて童貞くらいしかないし。
メメントモリ〜死を想え
卒業を実感して始めに感じたのは、死にたくないってことでした。生臭え。もともとそのくらい意識して人生送ってくれよなってことかもしれないけど、やはり時間の経過とか有限性とか、終わりが来ることを意識しちゃうよね。
もうこの楽しい時間は2度と来ないんだな感
メメントモリに似てるかもしれないけど、明確に違う。このメンバーで喋るのが凄く楽しいけど、全く同じメンバーではもう会えないかもしれないし、メンバーが揃っても同じ時間は戻って来ない。もう2度と会えない人がいるかもしれない。この感じ。
いい人たちに出会えたな・いいコミュニティになったな感
もうお爺ちゃんですよね思考が。
これからの彼らに祝福あれ
自分はこんな経験をしてきた・こんなに悩んだ時期があったし、きっと彼らもこれから色々なことに出会うんだろうなぁ。そこに居合わせられないのは寂しいけど、頑張ってくれよな。
先輩と後輩ということと人間ということ
先輩と後輩という関係性は、極めて機能的なものだと思います。というのも、先輩はものごとを良く知っていて後輩に教える立場にあるし、後輩はその指導やあるいは先輩の姿を見ることでやがて自分も後輩に教える立場になるからです。これは、組織がなんとなく続いていく"仕組み"に当たると思います(組織論分からんから古い考え方かも)。つまり、先輩という役職と、後輩という役職なわけです。 でも、それらは役職に過ぎず、その中には人間がいるわけですよね。ここが僕はイマイチ分からなかった。先輩と後輩を超えて、友達と呼べる段階が来るはずだと思いながら、実感としてなかなか掴めない感じが否めない。
役職としての責任、人間性の責任
そんなとき僕が思い当たるのは、責任という言葉です。役職としての責任とは、当然与えられた職を全うすることです。先輩であれば後輩にものごとを教え導くこと。役職として、先輩が物知りで、後輩には何でも教えてあげるのは、責任として当たり前なわけだ。というわけで、僕個人のスタンスとしては(大事なことなので強調しておきます)、そんなことで後輩に気に入られようなんざ思ってないし、それを盾に近寄るのは卑怯だと思ってきました(先輩がルールなんだから強くて当たり前だ)。 むしろ大事なのは人間性の責任なわけです。人間は、出会ってしまったが最後、必ず相手に何かしらの影響を与えてしまいます。コンビニ店員との数秒間の出会いも、店員の態度如何で、あるいは客の態度如何で、相手の感情が変わるわけです。そういった意識の中で、少しでも相手に良い影響を与えたいと努力することが、人間性の責任なのかなと思います(思い遣りとかいう曖昧な言葉で誤魔化すな)。これが上手くお互いに重なったとき、何となく良い関係になれている気がします。
ここまで書いて一人反省会をすると
やっぱ自分はダメだなと言った感じですね。自分が気持ちよくなる方向にしか脳みそ働いてない。ぴょえー。
おわりに
アイマスの「私はアイドル」という曲が好きなんですが(唐突)、特にここが好きです。
きっと私は自由! そりゃ多忙なスケジュールに いつ倒れるかもしれない ハードワークでも だって声援をくれる この素晴らしいファンがいる もしポリシーを曲げたなら彼らを裏切ることに それはできない 逆説的にフリー
僕は僕なりのやり方でやっていく、それに期待してくれている人がいるわけですし。僕は、僕なりのポリシーを曲げずに、人間性の責任を果たしていくのみです。そのせいでまた人間味が失われるというか、誰もそこまで考えて人と接してねえよてきな扱われ方をされる気もする。 卒業に際しまして、これまでお世話になった皆様方に厚く御礼申し上げるとともに、今後ともくりむを見守っていただき、またくりむが責任を果たせていないときには叱咤激励いただけるようお願い申し上げます(オチがついてないけど今日は終わり)。
※2017.3.17追記 たいして知りもしない先輩を送り出すのはさぞ大変だったと思いますが、本当にありがとうございました。 皆さんの人生に一瞬でも居れたことに、深く感謝申し上げます。本当にありがとう。
就活中に思うこと
はじめに
大学生の経験ってなんやねん
経験→価値観、スキル
みんなブログ書こう
経験から価値観を抽出することが必要だ、と綴ってきたわけですが、これって随筆文の特徴だってことはお気づきでしょうか。随筆文は、作者の主張を、自身の経験をもとに綴るものです。ですから、随筆文が書ける人は、自分の価値観と経験が紐づけられているはず。すなわち、ブログ書けば価値観と経験が結びつけられるはず! みんなブログ書いてくれよな! ブログ書いて、内々定一直線だ!
Microsoft Dreamsparkを知らない大学生おるか?w
ねえ、知ってる? 学生生活って、有限なんだって
勢いで見出しつけました。こんにちはこんばんは、くりむです。大学生活、無限に続くと思ってたのに、どうやらあと11ヶ月らしい。早く就活終われ。ところで学生のみなさん。みなさんは学生割引とかアカデミックプランって、上手く利用してますか? 今日は、僕がつい最近知ってもっと早く知っていればああああああ!!!!!!と思ったMicrosoftが提供する無料のアカデミックプログラム、Microsoft Dreamsparkの紹介です。
What is Microsoft Dreamspark?
プログラミングやサーバー構築といった IT スキルの学習を目的として、Visual Studio、Windows Server、SQL Server、Windows Embedded などを年間購読制でご利用いただける無償メンバーシップ プログラムです。学生向け DreamSpark について | マイクロソフト 教育機関向けより引用。つまり、登録すると1年間いくつかのMicrosoft製品が無償で利用できるというプログラム。学生の間はライセンスを更新すればよく、またインストール済みの製品は卒業後も非商用利用に限り使用できます。すごいね。対応サービスはMicrosoft DreamSpark - Software Catalogで確認できます。かなりの数。そしてWindows 8.1、Windows7も含まれてる! なんということ。ということはWindows買わなくてもBootcampできるじゃん!
Windows8.1を、Bootcampを使って動かし
Dreamsparkでもう1つ気になってるもの
おわりに:永遠なんてないのよ
GW暇すぎる件
今週のお題「ゴールデンウィーク2016」 ↑昨年のゴールデンウィークに行ったっぽい茅ヶ崎の夜明け
ゴールデンウィークってめっちゃ暇じゃないすか
どうもくりむです。世間はゴールデンウィークですね。私は大学生なので毎週ゴールデンウィークみたいなところありますが。
ゴールデンウィーク暇すぎる
ゴールデンウィーク暇じゃね? 暇というか、やりたいことはあるんだけど、「普段なら空いているはずのあの場所がめっちゃ混んでる!」みたいになるじゃないですか。 たとえば、池袋行きますでしょ。途中で疲れますでしょ。喫茶店入りたくなりますでしょ。どこも空いてない。 ってなると、もう家にいるしかないじゃん。
お金がない
そして、個人的な事情ですが毎年この時期ってめっちゃお金がない。アルバイトの関係で、1,2月ってめっちゃお金入るんだけど、そこから先はあんまり入らなくて、6月あたりが1年で一番貧困を極める。 5月の頭であるGWは、そんな事情があるせいで全然お金使えないし、なのにアルバイトは祝日だからないし、なんやねん。
ゴールデンウィークといえば映画
ゴールデンウィーク、聞くところによると映画業界の用語らしい。連休が続いて映画が売れるからゴールデンだと。たしかにこの時期めっちゃ映画公開されますよね。 いろいろ見に行きたいのあるけど混んでるから行きません。もっと空いてから行きます。だって値段同じじゃん。
ズートピアが流行りらしい
今年はディズニー映画のズートピアがいい感じらしいですね。ケモナー歓喜のハイレベル映画っぽいのでちょっと見るのためらってます。誰か背中を押してください。 コナンも見たいですね。でもあれですね、泣くために映画見たいのに、どの映画見て泣けばいいんだろうか。
無駄に掃除してみたり
とにかく、家から出たくないので、家の掃除してみたりしてみたり。冬の間は部屋が寒すぎてiMacが放置されている我が家ですが、そろそろ暖かくなってきたのでiMac周りを片付けて使えるようにしてみました。 久しぶりに立ち上げたら、動作が重いのなんの。どうしたものか。
ゴールデンウィーク明けたら面接ラッシュらしい
実は就活生なわけですが、ゴールデンウィーク明けって面接固まりますよね。しかもゴールデンウィークって大抵大学でも課題出されますよね。あれ、暇じゃないのでは……? やだやだ何もしないぞ俺は!(さっきまでES書いてた)
くりむのゴールデンウィーク2016
というわけで、私のゴールデンウィーク2016はなるべくお金を使わないよう家に籠って掃除とESとウェブテストと勉強に終わりそうです、本当にありがとうございました。
エンディング曲は迷宮の十字路(だっけ?)のテーマ曲です。
『大学生』って、なんだ?
春ですね
大学に入って初めて経験したこと
その多くは、人間関係に収束する
大学生の醍醐味=人との出会い
考え無しに世界を学べ
まとめ
オタクはいつから街を大手を振って歩けるようになったのか
この記事はそこらの大学生がなにも調べないまま書きなぐっただけなので、そこは了解の上読み進めていただけると助かります(言い訳)。
私オタクなんで、と名乗るオタク
元々ロリコン漫画誌から発せられた造語の為、本来は(性的表現も含む)コアな漫画・アニメマニア(特に男性)を指す蔑称。以上、はてなキーワードより引用です。
生き生きしてるオタク
- オタクを自称する普通の人が仲間内でワイワイやってる
- 特異な目を向けられる快感を得るために普通の人がわざと演じている
- 自分が特異であることに気づかず(周囲からの視線に目もくれず)、活動に励んでいる
- 自分が特異な目で見られてることには気づいているが、それよりも目の前のコミュニティ・コンテンツが優先である
今後に思うところ
バレンタインデーと男子校
最後にもらった本チョコ()は幼稚園年長さんのとき、どうもくりむです。
たまたまバレンタインデーのときに彼女がいないだけです(大嘘)。
男子校のバレンタインデーは普通*1じゃない
自分は男子校出身です。文体からもにじみ出てますね。さて、世間の皆さんは、男子校のバレンタインデー、どんな感じだか想像がつくでしょうか。
男子校のバレンタインデー、もちろん「興味ねぇよ」って言ってます。が、そこで終わらないのが男子校根性だと思いませんか?(全国の男子校のみなさんごめんなさい)
男子校のバレンタインデー4類型
僕が在学当時、よく見られたのは、女の子から(たとえ義理でも)チョコをもらうやつは徹底的に叩きのめす「異端審問会」でした。教室の後ろの掲示板には、チョコのパッケージが画鋲で打ちつけられ(中身は美味しく頂いてます)、疑惑が上がると1日中問い詰められ続けます。そして誓うのです「俺たち仲間だよな」と。
バレンタインデーに限りませんが、男子校にはこういう「足を引っ張り合う感じ」がいろいろなところに見られます*2。勉強しねぇっていったら本当に勉強しないし。
またあるときは、大量にチョコのお菓子を買ってきて、みんなで食べるだけの会をするところもあります。まあ、普通ですね。
またあるところは、自分でクッキーなりチョコなりを作って、友達に配ったり女性の先生に渡したりします*3。だんだん面白くなってきたでしょうか。誰が男子中高生の作ったチョコなりクッキーなりをよろこんで食べるのかよくわかりませんが、そんな感じになるわけです。
究極的には、友達同士で手作りチョコを持ち寄って(きっちりラッピングされてる)交換しあいます。これが案外クオリティが高い。トリュフで満足しないですからね。僕はトリュフで許してって感じでしたが。一番ビビったのはマカロン作ってきたのですかね。
バレンタインデーこそ男子校の良さがわかる
そんなわけで、各所各年様々な楽しみ方をする男子校のバレンタインデーですが、こうやってバレンタインデーに盛り上がる友達、実は部活動のメンバーとは違ったような気がするんです。なんでかよくわからないけど、バレンタインデーに盛り上がる。そして、何より、卒業してからも会う友達って、バレンタインデーで一緒に盛り上がったやつらな気がします。気のせいですかね。ややこじつけですかね。
バレンタインデーに限らず、クリスマスも同じような雰囲気があります。「お前はクリスマス暇だよな?」っていって、暇じゃないやつは「異端審問会」にかける。暇な人で集まってワイワイ騒ぐ。こんなの、男子校じゃなきゃできないんじゃないの。共学の男どもにこの真似ができるのか?!(突然の煽り)
男子校は、良くも悪くも男しかいません。よく「男子校出身はオタクだしコミュ障だ」みたいな、男子校を蔑む論調になりがち(いやホントその通りだとは思う)ですが、だからこそ純粋な友情が生まれると思うのです*4。男子校では、好きなものは好き・嫌いなものは嫌いって言うし、女の子を取り合って喧嘩しないし、そのために嘘を付き合ったりしない。そういう人たちが大学に出ていきなりライアーゲームの世界に放り出されてコミュニケーション取れるわけないだろうが!!
社会がライアーゲームというのは多少言い過ぎですが()、でも、男子校ってそれくらい人間関係で悩まないんですよね。
大人になってもあの頃に戻れる
大人になってもあの頃に戻れる理論、実はそんな単純な人間関係のおかげなんじゃないでしょうか。僕はまだ大学生なのでなんとも言えないですが、大人になったって僕らの間にあるのはただ「友達」か「友達じゃないか」の単純な関係しかなくて、友達なら何も考えず話したいこと話すし、友達じゃなかったら全く話さない。そこにちょっとなかのいい友達とか、こいつならここまで話せるみたいな意味不明なボーダーとかないのではないでしょうか。僕だけですか。でも、共学だったら「あーあの子にフラれたな」とか「あの子と付き合ってたな」とか「三角関係だったな」とかあるんでしょ?メンドクサ。
僕はそういう、こいつらとはなんでもできるってマインドでいるし、だからこそ「将来絶対お互いの分野で活躍して再会したい」と思ってます。そうじゃなきゃ面白くないじゃん。僕の友達だと何のしがらみもなく誇れるし、僕もそう言われるように頑張りたい。そういう関係ってどうですか、バカっぽいですかね。もっとバカなこというと、将来再会して、みんなで一緒に世界を救いたいと思ってます。幸せな脳みそしてますでしょ。
よくわからないところに話が着地しようとしていますが、一番言いたいのは「男子校のバレンタインデーは最高に面白い」ということです。